「人対人」ではなく「人対課題」

東京もこれから、裁判を通して様々な議論が沸き起こることでしょう。

 

大阪の裁判を通して、判決をくだした裁判長の言葉。

 

『被告が周囲から十分な人的援助や養育費などの経済的援助を受けない中で仕事と育児をすることに限界を覚え、...
大きな精神的・体力的負担を感じていたことは事実だ』

 

記事より

 

『(裁判長は)同情の余地があり、今後は行政を含む社会全体が児童虐待の発見と防止に一層努めるよう求めた』

 

毎日新聞より

 

『(裁判長は)このような被害者が二度と出ないよう、社会全般が児童虐待の防止にいっそう務め、子育てに苦しむ親に協力することを願う、と言及した』

 

産経新聞より

 

『「彼女は凶悪犯ではない。もう少し救いを求めていれば、社会も助けてくれたのではないか」こう話したのは、30代の女性裁判員。
別の裁判員も「何か一つ変わっていれば、ここまでなることはなかった」と述べ、シングルマザーとして2人の子育てに悩んでいた下村被告の境遇をおもんぱかった。』

 

裁判を一緒に傍聴した、某新聞記者の言葉。

 

『彼女が30年後に社会に出てきた時に、社会は何も変わっていませんでした…では、ダメなんです。
大きな宿題を出された気分です』

 

どんな事件でも、そこに至るまでに必ず原因があって、
原因が小さいうちに誰かに支えてもらえたら解決できます。

 

みんな、幸せになるつもりで生まれてきています。

 

個人を裁いても、社会に課題は残ったままです。

社会のどこに課題があったのか、
しっかりと議論したいです。

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